うつ病、リストラ、障害を乗り越えて英語を勉強するー下ー

 さて、前回はある上司の下で働くことでうつ病にかかり、リストラされ、九州の実家に帰ったところまでお話ししました。
 私はすぐに地元の精神科病院に通い始め、うつ病の治療に専念しました。そして、「すぐに完治する」つもりでした。

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 しかし、ここで予想外の壁にぶつかるのでした。このブログの想定読者としている40代、50代の方々を問わず、うつ病の治療をするために実家に戻ったことのある人ならご理解いただけるであろう事実。それは親兄妹(おやきょうだい)の存在です。
 私の両親、とりわけ父親は、私がなぜ一日中ぐったりと寝ているのか理解できなかった。腕や脚を骨折しているわけでもなく、腰を痛めているわけでもない。それなのに何もしないで横になっている。要するに「怠けている」としか映らなかったようでした。
 うつ病、または抑うつ状態を経験したことのある人ならご理解できると思いますが、うつ状態というのは、自動車に例えるとエンジンが壊れて動けない状態なのです。エンジンが壊れたらアクセルをいくら踏んでも動かないのと同様に、何をする気にもなれない。気持ちが塞ぎ込んでしまい、立ち上がるのも辛い。
 食事も、それまで好きだった食材が口に入らなくなる。それどころか砂を噛むような味気なさを感じるのです。
 ちょうど私が実家に戻った頃と同時期に、自営業者として働いていた父親は70歳で引退して年金生活に入りました。60代半ばの母は60歳で正社員の仕事を定年退職しながらも、暇を持て余したくないと、清掃のアルバイトをやっていました。
 父親はいいました。「60を過ぎたお母さんが働いているのに、30代のお前が一日中寝ているとは何事か!」
 当然、口論となるわけです。しかも、自らも仕事を引退して一日中家にいる父は、朝から焼酎を飲んでおり、酔っ払っては私に絡んでくる。病気のことを説明しても埒(らち)があかない。うつ病とは、怪我をして腕や足にギブスをして治すわけではなく、「目に見えない心の病気」だから、”酔っ払い”には私は怠け者そのものだったわけです。
 帰郷して16年半経ちました。3年前に父は他界しました。私は父が他界する13年間あまり、ほとんど口をききませんでした。病気の一番の理解者になってくれるものと思っていた人々に裏切られたからです。
 その後、私も父との確執のストレスから、酒に溺れるようになりました。当然、うつ病が良くなるわけもなく、たまたまネットで知った「障害年金」のことを主治医に相談すると、提出すべき診断書を書いてくれたので、年金事務所に提出し半年後に承認通知が届いたのでした。
 わずかな額ではありましたが、障害年金が支給されてからというもの、最初のうちは勉強しようと、パソコンスクールに通ってMicrosft Office Specialist 2010 Word & Excel(通称MOS)の資格を取ったり、簿記の勉強に励んでおりました。
 経済的にわずかとはいえ安定したこともあって、考え方が前向きになり、うつ病もかなり改善しました。主治医も、「簡単なアルバイトなら初めても構いませんよ」と勧めてくれました。
 この時期、親兄妹とは仲が悪かったものの、高校及び大学も同じ学校に通ったF君がたびたび掛けてくれた慰めの言葉は一生忘れられません。
 ところが、ちょうど8年ほど前のこと。当時74歳だった母の様子が違ってきたのです。とにかく物忘れがひどい。母は「漢方薬専門店まで車に乗せて行ってほしい。物忘れに効く薬を買うから」という。毎月のように専門店に連れて行くようになったところ、「私の財布がない!お父さん、隠したろ!それともコージか?」と言い出し始めたのです。そういうことが1日に何回も起きるようになったのです。
 「これはまずい。認知症の症状ではないだろうか?」と思った私は、通院する精神科病院の「ものわすれ外来」へ母を連れて行きました。担当医は病名を告げませんでしたが、処方された薬は明らかに認知症患者が服用するものばかりでした。

 私自ら父に話しても理解できないであろうと考えた私は、看護師をしていた妹に母のことを話し、父親に説明して欲しいと頼みました。妹は詳しい説明をしてくれました。
 でも、父には理解できなかった。「ただの物忘れだろ」程度の認識しかありませんでした。それからです。母の物忘れがだんだんと進むにつれ、父が母に暴力を振るうようになったのは。
 要するに、「何度同じことをいってもすぐに忘れやがって。このばかやろう!」と暴言と共に母に手を上げる。その度に私は間に入って止めようとしました。しかし、無駄でした。一日中同じことの繰り返し。
 私は、あまり飲まなくなっていた酒を飲み始めるようになり、夜はネットで知り合った二回り歳下の女性と放蕩三昧となりました。若い女性の心を繋ぎ止めるために様々な高級ブランドを買い与え、小遣いも渡しました。
 もちろん唯一の収入源である障害年金だけでは足りなくなり、カードローンをする始末。5、6社からお金を借りて酒と女に遊び呆けた挙句、原因不明の猛烈な胃の痛みを覚えて倒れ、精神科病院閉鎖病棟で391日間過ごすことになるのです。

 

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 それからのことは、このブログの第一回(上に貼り付けた過去記事)を始め、数回綴った通り、友人のF君の勧めもあって、母校W大学の大学院で学び直し、新しい人生を歩む決意をしたのでした。多額の借金も、司法書士の先生の力を借りて、金利なしで借金の総額をかなり減額する措置、すなわち「任意整理」の法的措置を取りました。そして、今年2月にちょうど5年かけて完済しました。
 6年前に退院してからというもの、入院中にアルコールを抜いたからでしょうか、物事を前向きに考えられるようになりました。その時点で、両親は施設に入っていました(母は認知症が原因で事件を起こし、父は酒が原因で足の骨を折る大怪我をしたため)
。私は、わずかな障害年金を元手に公営団地に独り住まいをすることになりました。
 独り住まいをするのは10年ぶりのことでした。気分がいい。誰にも気兼ねすることはない。
 さて、うつ病、リストラ、障害と私ぐらいの世代の方々の中には少なからず経験された方がいらっしゃるでしょう。今でこそ大学院を目指し、前向きな生活をしていますが、ここまで来るには16年かかりました。念願の大学院進学には、最後に、学費と東京での生活費をどうまかなうかという、とても現実的な課題が待ち受けています。それでも、「金は天下のまわりモノ」ということわざ通り、なんとかして見せます。
 と、同時にこのブログの趣旨通り「50歳からの英語学習奮闘記」を面白おかしく綴って行きながら、目下の目標であるTOEICで900点をとる努力に励みたいと、思いを強くする次第であります。
 最後に、3年前に亡くなった親父が生きていたとしたら、こういってやりたいです。
 「心配ばかりかけて申し訳なかった。ようやくスタート地点に立てるようになった。25年前、早稲田に行かせてくれたのはあんたのおかげだった。今度は自分自身の力でいってみせる。ありがとう、オヤジ。」

〜本日の元気の出る英語〜
   To thine own self
    be true. 
   自分自身に誠実であることが大切だ。
   William Shakespeare
  ウィリアム・シェークスピア(劇作家)

 

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